2022年5月27日にNHK「あさイチ」に出演された斎藤工さんが、父親とウルトラマンについてお話しされたようです。
なんでも、元東北新社の職員であったとか。
確か、菅元首相の息子さんが東北新社でしたよね。まーそれは置いといて。
斉藤家はウルトラマンと縁があるようです。今回は、斎藤工さんの父親と「ウルトラマン」の関係について深堀していきます。
斎藤工の父親は東北新社で助監!若い頃はウルトラマンタロウの…!
結論から言いますと、斎藤工さんの父親は東北新社に勤めていたようです。現在は、退職されているようなので、映画制作に携わっているということはないようです。
斎藤工さん本人が以下のように父との思い出をお話しされています。
東北新社に勤めてた斎藤工さんのお父さん!SMAPと仕事してたんじゃないー? @AbemaTV で視聴中 https://t.co/7XC4o7pj5S #ななにー pic.twitter.com/ZF40roLquD
— tomochu610 (@tomochu610) April 7, 2019
さらには、
円谷さんで助監督の仕事をしていた。ウルトラマンタロウの現場に父がいたことがあったので、息子がウルトラマンになるのは数奇な運命だなと思います
引用元:yahoo
と関係者がお話しされています。
このコメントから分かるように、斎藤工さんの父親はウルトラマンタロウの現場で働いていたことがわかります。なんでも、爆破担当のアルバイトをやっていらしたそうです。
カーチェイスをして最後に車が爆発するシーンがありますが、こちらも父親が担当されていたのでしょうか。
ウルトラマンタロウ
第35話「必殺!タロウ怒りの一撃!」より。車(初代ランサー)でパトロールする東(篠田三郎)。
東は宇宙人が運転する車(コルト1100)を追跡、カーチェイスになる。
(宇宙人の車は所々コルト1500にすり替わり)
宇宙人の車は道から外れ転落、爆発炎上する。pic.twitter.com/IgohrXxXUU— 爆破・破壊bot (@bakuha_bot) May 27, 2022
ウルトラマンタロウは、1973年4月6日から1974年4月5日までテレビ放送されました。
半世紀近くも前のことになるわけですね。
半世紀近く前に父親が担当していたウルトラマンに関わる仕事を、現在息子の斎藤工さんがされているのは縁があるように思いますね。
@_maeshima_ami あみたがスーパーガールズの時にウルトラマンタロウのストリウム光線のポーズしていたなぁ。 pic.twitter.com/r3Z3KyJh8S
— スコット「ウルトラフォース」 (@AWZXytRB8iqzEdb) May 27, 2022
また、助監督をやっていらっしゃったということですが、これはただ経験があるだけではなれないものなんだそうです。
映画関連の学科がある大学や専門学校で映像学を学んでおく必要があるようです。それは当たり前ですよね。映像のプロフェッショナルになり、世間に作品を送り出すわけですから。
斎藤工さんの父親は映画界では、プロフェッショナルな立場まで登りつめた巨匠なのかもしれませんね。
ちなみに、映画や映像の制作会社で監督のサポートに助監督がつくわけですが、その助監督にも序列があるようです。
大体は第3助監督からスタートし、経験を積んでいくことでやっと第1助監督に昇格することができるようです。
監督への道のりはかなり厳しく険しい道のりのようですね。助監督であったという情報はありますが、監督になって作品を送り出したという情報はありませんから、監督になることはせず助監督で映像界での仕事を引退したのかもしれませんね。
東北新社は退職し実家でカフェ経営!
2022年現在、ご両親は大分で「cafe デリカッテ」というカフェを経営しているようです。斎藤工さんのファンの間ではかなり有名な話なんだそうですね。
【プチネタ】
俳優・斎藤工(さいとう・たくみ)さんの実家が経営する洋食店
『スープとケバブ 食堂デリカッテ』(三軒茶屋)を閉店し、大分県臼杵市に移転。大分県との縁は、斎藤工さんの姉の嫁ぎ先で、新たな店は、臼杵市二王座にある「古民家カフェCafe Delicatte(カフェ・デリカッテ)」 pic.twitter.com/cGPanqVPPP— 大分県民検定 (@vkewW0Xk0oNZiYj) January 5, 2020
ちなみに場所はこちら。
元々は都内で経営していた洋食店であったそうですが、リニューアルオープンと同時に大分県に移転されました。
その理由を考察するに、有名になり過ぎたことが原因ではないかと思いいます。元々東京都の三件茶屋に店を構えており、地元の方々や斎藤工さんのファンの方々でいつも賑わっていたそうです。
ですが、店の付近には斎藤工さんの実家があったようです。察しの言い方はお気づきかと思いますが、要は嫌がらせなどを受けたということですね…
玄関のブザーを鳴らされたり、家を撮影されたりとマナーの悪い方々から嫌がらせを受けていたそうです。
テレビに出演し知名度が上がるにつれて、エスカレートしていったのではないかと考察します。本当は地元の東京に残りたかったという気持ちもあったことでしょうけど…
話はずれましたが、斎藤工さんの父親は助監督以降の経歴についての情報がありませんでした。つまり、早期退職?してカフェを開いたのかもしれませんね。
なお、カフェの口コミや評判は良く、大分でもとても賑わっているようです。
#ジモタビ
臼杵二王座「星月庵」&「Cafeデリカッテ」に行ってみた♪♪
星月庵の手間ひまかけた精進料理、美味しかったです(^^) pic.twitter.com/txbWRcSlqP— えりりん (@erieri_i1015) July 11, 2020
斎藤工さんがシンウルトラマンで、さらに注目を集めている今、お店の方も相当忙しい時間を過ごしているのではないでしょうか。
斎藤工と父親はウルトラマンと深い関係
斎藤工さんが俳優を志たのも父親の影響が強く関係しているようです。当時のことをテレビで話すこともあったようです。
さらには、このようなコメントも残されています。
「父が映像制作の仕事をしていて、その仕事現場に遊びにいっていたんですね。父が関わった作品のエンドロールに憧れを持っていて、『自分もこのエンドロールのどこでもいいから名前が載る職業につきたい』というのは、わりと幼少期から思っていました」
引用元:yahoo
そんな斎藤工さんは映像制作を志し専門学校に通われ出すのですが、父親から現場にいることを優先するようにアドバイスを受けると、どうしたら常に現場にいることができるのか考え、モデル活動を始めます。
これが高校一年生の時になるようです。高校一年生でここまで芯の通った活動ができるのも本当に凄いですよね。
さらには、バックパッカーとして世界に飛び出した経験もあるようです。なんでも、バックパッカーを兼ねて世界各地のモデル事務所があるエージェンシーを探す旅だったようです。
危ない目にあったようで、テレビで言えない経験も多くされたようですよ。こう言った言動もヒューメリアンと言われる所以なのかもしれませんね。

前述した通り、ウルトラマンと斉藤家は縁があるようで、斎藤工さんの父親が映像業界に入ったのが円谷さん(プロダクション)のアルバイトだったようです。
ウルトラマンタロウの爆破担当だったようです。当時についてはこのようにもお話しされています。
当時は(家に)テレビがなくて、外部との接点は映画とウルトラマンのフィギュアだけで
引用元:URL yahoo
幼いころから関係性のあるウルトラマンの役を演じることは、偶然ではなく必然だということでしょうか?

斎藤工さんのエピソードを見ていると、数奇な運命で都市伝説ではないようにも思えてしまうほどです。